松の湯 番台(ばんだい)物語 東京オリンピック 昭和39年

男なら「風呂屋の番台に座ってみたい」

というお話

 

生まれた時から銭湯の息子で朝から深夜まで騒がしい家でした

 

第二次世界大戦が終了して「もはや戦後ではない」という言葉が流れ

東京オリンピック(昭和の)が開催された頃 小学4年生でした

 

銭湯の毎日の開湯は夕方4時からで

一番風呂の常連さんはお決まりの隠居おじいさん

まだ各家庭に内風呂(うちぶろ)がない時代で銭湯は

リクレーションみたいなもので情報交換も含めてコミュニティの場でした

 

もう一方(ひとかた)一番風呂のご贔屓(ひいき)さんがいました

お座敷に出る前の芸者さんです

芸者さんはお座敷に出る前と終った後の一日2回入ってくれました

いいお客さんです(中には一回の人も)

 

学校から帰ると父が釜(今ならボイラー)に火入れした後の

燃料(この時は木の屑 おがくず)の補給が子供の仕事でした

いや仕事と言うよりは手伝い

私には二人の姉がいて3人で交代で燃料補給をしました

ジャンケンで順番を決め壁に下がっていた小さな黒板に

一人何回火入れしたか「正」の字を書いていきました

最初は兄弟通し競い合い自分の「正」の字が誰よりも

多くなって得意がっていましたがそのうち上の姉は中学から

高校に行く年代になり下の姉は部活に忙しくなり学校からの

帰りが遅くなりほとんど私一人の手伝いになってしましました

 

釜に燃料補給のほかにもう一つ「番台」に座って湯銭

お客さんから頂くという作業がありました

番台というのは今風に言うと会計のレジです

湯銭(ゆせん)は風呂に入る料金です

その頃番台は脱衣所の男湯と女湯の真ん中の入り口にあり

お客さんは入口から入るとすぐ湯銭を払い脱衣所に入ります

番台に座っている人は常に入口に背を向けて浴槽側を向いていました

銭湯内の全体を常に把握できるような造りにしてありました

f:id:hayack1980:20191030054226j:plain

燃料のオガクズを運んでいた大八車の車輪です

湯銭はその時大人一人 20円か25円位だったと記憶しています

その金額に頭を洗う、洗髪すると水道料金がかさむので10円プラス

して支払って頂いたと思います

 

お客さんが銭湯に来る時間帯は一番風呂の隠居爺さん芸者さんを

除きピークは夜7時半から9時です

座っている背中側から左右から男女子供が一斉に入ってきます

この一時間半が番台人の腕の見せ所です

「大人何人で子供何人で頭洗う人何人」湯銭合計を算出しなくては!

電卓がない時代(4つ玉のソロバンか暗算で)、それもまだ小学生。

男湯女湯合わせて20畳の脱衣所が15分位でいっぱいになるほどの

スピードで入ってきます 頭の中 真っ白!! 続く